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東京地方裁判所 昭和49年(刑わ)668号 判決

主文

被告人らを各懲役一年二月に処する。

被告人らに対し未決勾留日数中各八〇日をそれぞれその刑に算入する。

被告人甲野善夫、同乙山元、同丙川正一、同丁田謙太および同戊海秀に対し、この裁判確定の日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、別紙訴訟費用負担明細一覧表のとおり各被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人らは、いわゆる中核派に所属する者であるが、同派に属する多数の者とともに、昭和四九年二月三日から翌四日午前六時三〇分ころまでの間(ただし、被告人乙山齊は同月四日午前五時ころから、被告人丁田謙一は同日午前六時ころから、いずれも同日午前六時三〇分ころまでの間)、東京都豊島区東池袋二丁目六二番九号佐藤ビル(木造モルタル塗り二階建)内の前進社(通称第一前進社)およびこれと隣接する同区東池袋二丁目六二番一〇号岩井菊造所有の建物(木造モルタル塗り二階建)内の二階事務所(通称第二前進社)、右各事務所に至る右各建物の通路、階段、屋上等において、かねて対立抗争中のいわゆる革マル派に所属する者らが、右各前進社を襲撃してきたときは、これを迎撃し、その生命・身体に対し共同して危害を加える目的で、多数のやり状鉄パイプ、竹やり、鉄パイプ、竹ざお、バール、石塊、コンクリートブロック、れんが、コーラびんを準備して集合し、もって他人の生命・身体に対して共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合したものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

一1  弁護人は、昭和四九年二月四日第一前進社および第二前進社に対してなされた令状による捜索差押ならびに被告人らの現行犯逮捕およびそれに伴う捜索差押は、いずれも違法であるから、それらによって得られた証拠は違法収集証拠であって、証拠能力がなく、排除されるべきである旨主張する。すなわち、

(一) 昭和四九年一月二五日の捜索差押は、昭和四八年一一月警視庁志村警察署管内において発生したいわゆる革マル派の書記長池上洋司に対する傷害等の事件(いわゆる池上事件)を被疑事実とする令状によるものとされているが、その実質は、もっぱら昭和四九年一月二四日警視庁北沢警察署管内において発生した東大生内ゲバ殺人事件(いわゆる東大生殺人事件)の捜査を目的とし、池上事件に藉口した違法な別件捜索差押である。

そして、同年二月四日の令状に基づく捜索差押は、右のように東大生殺人事件についての捜索差押がすでに同年一月二五日になされていて、新たに捜索差押をする必要性が存在しないのに、同年二月七日に予定されていた日比谷公園における狭山裁判集会の事前規制、東大生殺人事件捜査のための無差別、無特定の逮捕、捜索差押および中核派の政治組織への弾圧、破壊を目的として、東大生殺害事件を犯罪事実とする捜索差押許可状を請求し、その発付を受けて、なされたものであり、令状主義に違反する違法な捜索差押である。

(二) 昭和四九年二月四日の兇器準備集合罪による被告人らの現行犯逮捕は、前記違法な捜索差押許可状の執行の名のもとに第一前進社および第二前進社建物内に侵入してなされた計画的かつ見込み逮捕であり、しかも、その逮捕は、現行犯としての犯罪の現認がなされる以前から令状による捜索差押の立会人となった者以外の者の身体を拘束してなした違法なものであるから、右逮捕に伴う捜索差押もまた、違法である。

2  そこで、弁護人の右主張について順次検討を加えることとする。

(一) 《証拠省略》によれば、司法警察員古賀時雄は昭和四九年一月二四日東京地方裁判所裁判官に対し池上事件について捜索差押許可状を請求し、同日その発付を受けて、翌二五日右各前進社の捜索を実施し、多数の鉄パイプ等を差押えたこと、東大生殺人事件は、同月二四日発生し、同年二月二日、警視庁北沢警察署司法警察員氏家弘が同事件について渋谷簡易裁判所裁判官に対し捜索差押許可状を請求し、同日その発付を得て、同月四日右各前進社、東京アドセンターおよび杉並革新連盟事務所の四か所の捜索を行ない、その際第一前進社内にいた被告人らを兇器準備集合罪の現行犯人と認めて逮捕し、右現行犯逮捕に基づく捜索差押をあわせて実施したことが認められる。

(二) ところで、前記各証拠によると、司法警察員古賀時雄作成の捜索差押許可状請求書記載の犯罪事実の要旨は、「被疑者は、中核派に所属する氏名不詳者であるが、他数名と共謀のうえ(1)昭和四八年一一月一九日午前一〇時八分ころ、革マル派書記長池上洋司を襲撃する目的をもって、東京都板橋区高島平九の一の五東京都住宅供給公社西台住宅五号棟九二六号の右池上洋司方玄関前通路付近においてバール、千枚通し、鉄パイプようのもの等を所持して集合し、もって数人共同して他人の身体・財産に対して害を加える目的で兇器を準備して集合し、(2)つづいて、同人方に故なく侵入し、(3)同所において、同人に対し、所携のバール等で殴りかかり、あるいは、突く等の暴行を加え、よって、同人に対し全治約二か月半の頭部顔面挫創等の傷害を負わせた。」というものであり、右請求を受けた東京地方裁判所裁判官が右の嫌疑の存否および捜索差押の必要性の有無を審査したうえで前記のとおり同許可状を発付したこと、池上事件の捜査本部は警視庁志村警察署に設置され、警視庁公安部公安一課の古賀時雄警部が同事件発生時に犯行現場に赴き、同署に派遣されて同事件捜査の連絡調整を行なっていたこと、右事件発生後の捜査で犯人が中核派に属する者である容疑が濃厚であったが、右許可状の請求当時いまだその氏名は特定できず検挙に至らなかったこと、第一前進社および第二前進社は中核派の本拠であり、同派の者の出入りはかなり頻繁であったこと、古賀警部は、警視庁志村警察署署長、公安一課長横内基康と協議のうえ、前記のとおり捜索差押許可状の発付を請求し、古賀警部が第一前進社、志村警察署警備課長中村善次が第二前進社における捜索差押の責任者となり、右両名において右捜索差押実施のための編成を行なったことが認められる。

右事実によれば、同年一月二五日の捜索差押は池上事件の捜査のためのものであり、同事件は関係者が多数であって、必ずしも事案軽微であるとはいえず、その罪質態様、捜査の進展状況等にかんがみると、右捜索差押の必要性のあったことを是認しうるのであって(単に右事件発生時から約二か月を経過しているからといって、必要性が消滅したとはいえない。)、所論のごとくもっぱら東大生殺人事件の捜査に利用する意図をもって池上事件に名を借り捜索差押がなされたことを確認するに足りる証拠はない。

もっとも、当庁刑事第八部における被告人Bらに対する兇器準備集合被告事件第八回公判調書写中の証人菊池兼吉の供述部分には、右捜索差押は東大生殺人事件のために行なった旨の記載が存するが、右記載は、同供述部分中、同証人が同月二四日東大生殺人事件の発生後警視庁北沢警察署に設置された捜査本部の副本部長として当該事件の捜査を総括する立場にありながら、翌二五日の右捜索差押については事前に承知しておらず、当日その終了後に横内公安一課長から聞いて初めて知ったこと、東大生殺害事件の犯人が中核派の者であると断定したのは同月三〇日ころであったこと等の他の記載と抵触するうえ、同証人は、その後の当庁刑事第六部における被告人Cらに対する兇器準備集合被告事件第一二回公判調書写中の供述部分および当裁判所第一一回公判期日において、東大生殺人事件のために行なった旨の前記の供述記載が誤りであるとして訂正する旨の証言をしており、その他、池上事件と東大生殺人事件とは所轄署を異にし、右令状を請求した古賀警部は東大生殺人事件捜査本部員ではなかったこと等の事実のほか、前示認定の事情を総合して考察すると、前記の供述記載は措信することができない。

(三) そこで、同年二月四日の捜索差押について検討すると、前記各証拠によれば、司法警察員氏家弘作成にかかる捜索差押許可状請求書に記載の犯罪事実の要旨は、「被疑者は、氏名不詳者多数と共謀のうえ、(1)対立抗争中の学生らに対し危害を加える目的で、昭和四九年一月二四日午前一一時四八分ころ、東京都世田谷区代田三丁目五五番一〇号アパート福荘付近路上において、多数の鉄パイプ等を所持して集合し、もって他人の生命・身体に対し共同して害を加える目的をもって兇器を準備して集合し、(2)つづいて、故なく右福荘二階に侵入し、(3)同所等において、富山隆および四宮俊治に対し殺意をもって所携の鉄パイプ等でその頭部等を殴打し、よって右両名を後頭部割創等による出血多量により死亡させて殺害した。」というもので、渋谷簡易裁判所裁判官が右嫌疑および必要性を肯定して前記のとおり右許可状を発付したこと、右事件発生後の夕刻所轄の北沢警察署に捜査本部が設けられ、捜査にあたったが、同年一月三〇日または同月三一日の中核派発行の革共同通信の中で、右事件が同派の者によるものである旨の記事が掲載され、右捜査本部も同派の犯行であると断定したこと、同捜査本部は志村警察署に捜査員を派遣して前記池上事件について捜索差押された物について検討したが、東大生殺人事件に関連する物は見当らず、他方、中核派の本部のある第一、第二前進社には同派の多数の者が出入りし、同月二五日以降右各前進社に東大生殺人事件に関する証拠物が搬入される可能性のあったこと等が認められる。

右によれば、東大生殺人事件はその罪質、態様等に照らし重大な事案であることが窺われ、同年二月四日の捜索差押は、右事件の捜査をするうえにおいて必要性の存したことを肯認することができるのであって、右捜索差押の手続において違法のかどはなく、捜査官において、所論のごとく同月七日に予定されていた狭山裁判集会の事前規制、東大生殺人事件の捜査のための無特定の逮捕、捜索差押および中核派の組織に対する弾圧、破壊を目的としてなされたものとは認めることができない。

(四) つぎに、本件現行犯逮捕について考察すると、前掲各証拠によれば、警察官は、前示のとおり東大生殺人事件の捜査の必要上適式な令状を受けて、捜索差押を行なうために第一前進社に立ち入ったのであるが、その際、逮捕警察官において、同社内部の人的、物的状態を現認し、かつ、右状態とこれまでのいわゆる中核派と革マル派との間の激しい対立抗争の状況等とを総合して、被告人らを兇器準備集合罪の現行犯人と認定して逮捕したことが明らかであり、当初から右殺人事件のための無差別な見込み逮捕を計画したものであると論難することはできない。

ところで、司法警察員金長正信作成の検証調書によると、第一前進社事務所は、明治通りに添って建てられた佐藤ビルの二階に存在し、同ビル一階には東側の明治通りに面してスナック「ワン」と喫茶店「ロータリー」が並び、その中間に幅約一メートルの第一前進社の出入口があって、右出入口から奥(西方)に向かって幅約〇・九四メートル、長さ約六・九五メートルのコンクリート敷き通路があり、その奥に二階に通ずる幅約〇・九四メートルの木製階段が設けられていること、二階は、踊り場のほかは、北側と南側の二室に区切られ、踊り場に炊事場が設けられ、さらに、右各室に出入するためのドアが取りつけられていることが認められる。そして、前掲各証拠を総合すれば、当日の第一前進社の捜索差押実施の責任者であった古賀警部は、昭和四九年二月四日午前六時三五分ころ、佐藤ビル一階の第一前進社の出入口で被告人甲野善夫に捜索差押許可状を示したところ、同被告人から「二階の責任者にもう一度見せてくれ。」旨要請されたので、同被告人に続いて数名の警察官とともに入り、同日午前六時四〇分ころ、二階踊り場で被告人戊海秀に右許可状を示し、これを読み上げた後、同被告人に捜索、差押の立会人となる者の選任を求め、二階北側の部屋については同被告人および被告人乙山元ほか一名、同南側の部屋については被告人松山良雄および同丙川正一が立会人と定まり、捜索に着手したこと、古賀警部は、第一前進社二階には被告人らを含め中核派に属する合計一七名の者がおり、その他捜索要員、警備要員をいれると多数の者が狭い部屋にいることになるので、混乱を避け捜索差押の実効を期するため、立会人以外の者の室外退去を指示し、捜索差押支援のため出動しその場にいた警視庁第三機動隊副隊長川畑輝行に協力方を要請したこと、これに応じて、立会人以外の在室者一名につき一名の機動隊員が付き添って順次二階から一階に降り始めたこと、古賀警部らの警察官は、すでに、前示佐藤ビルに到着前に、ヘルメットをかぶり覆面をつけた者が第一前進社屋上で見張りをしているのを認め、また、第一前進社一階出入口から二階踊り場までの間において、一階出入口内北側のロッカーに多数の手拳大の石塊、一階通路南側板壁に竹やり六本、同通路突きあたりに鉄パイプ二六本(うちやり状のもの一三本)、階段東側板壁には竹やり四本、二階に近い階段西側にやり状の鉄パイプ二本がそれぞれ存在していて、古賀警部ら警察官はこれらを現認したこと、さらに、早朝であるのに、当時第一前進社内にいた者らが、いずれも洋服を身につけていて寝間着姿の者がいなかったこと、同警部は前記のように立会人以外の者を排除した後、二階北側の部屋に入ったが同室の北側の机脇に鉄パイプ一本(うちやり状のもの一〇本)、竹竿二九本(うちやり状のもの四本)、東側床上等に竹やり四本および鉄パイプ四本のほか、北側の机の上および東側床上等に多数の石塊、コーラびん等がそれぞれ存在したことに加え、かねて中核派と革マル派との間にいわゆる内ゲバが繰り返され緊迫した状況にあったこと等から判断し、第一前進社内にいた者全員について兇器準備集合罪が成立しているものと認め、同行の警視庁公安一課管理官佐藤信の意見を求めたうえ、同日午前六時五二分、被告人らを右犯罪の現行犯人として逮捕することを告げ、川畑第三機動隊副隊長に逮捕方を依頼したこと、右副隊長からの同旨の命令を受けた各機動隊員が直ちに被告人らを逮捕したこと等が認められる。

思うに、司法警察職員が、捜索を行うにあたり、立会人またはとくに許可を受けた者以外の者をその場所から退去させることができ、許可を受けないでその場所にある者に対しては、退去を強制し、または、看守者を付することができることは法の認めるところである(刑事訴訟法二二二条、一一二条、犯罪捜査規範一四七条参照)。本件において古賀警部が立会人以外の被告人らに対して室外に出るように指示をなし、これを受けて機動隊員一名ずつが付き添い階下に誘導していったことは、当時狭い建物内に被告人らのほか捜索要員、警備要員員が存在する状況にあったこと等に徴すると、混乱を防止して適切な捜索、差押の実施を図るためにやむをえない措置であったと解され、その際右機動隊員が立会人以外の者の肩に手をかけ腕を押える程度のことがあったとしても、立会人以外の被告人らの意思に反してその身柄が拘束されたということはできない。

ところで、最初に一階通路に降りた被告人高地孝が一階出入口手前に至ったとき、機動隊員によって戸外に出ることを制止され、そのため後続の被告人大津正らは一階通路から階段にかけ機動隊員各一名が付き添う形で立ち止る状態にあったことが前掲各証拠によって認められるのであるが、本件において立会人以外の者を屋外に出しても、捜索にとくに支障を生ずる事情はなく、これらの者が屋外に出ることを求めているのにこれを無視して第一前進社内に留めておくことは、捜索の施行に必要な排除行為とみることができず、実質的な身体の自由の拘束というべきである。しかしながら、警察官らは、第一前進社の状態、とくに多数の兇器の存在、内部にいた被告人らの数、着衣等を現認しており、かつ、そのころ頻発していた中核派と革マル派との間の内ゲバ等対立抗争の状況を熟知していたのであるから、当時の具体的事情のもとにおいては、右の段階において、現行犯逮捕を行なったとしても違法であったとは認められないのみならず、右のごとく身体を拘束されたのは最も長い者で一〇分足らず、短かい者で約二分間の短時間であるうえ、その後適式に現行犯逮捕手続がなされ、これにもとづいて捜索差押をなしているのであるから、本件現行犯逮捕およびこれに伴う捜索差押によって得られた各証拠の証拠能力を失わせる程の重大な瑕疵であると解することはできない。

以上のとおりであるから、弁護人の証拠排除の申立は、いずれも採用することができない。

二  つぎに、弁護人は、迎撃形態の兇器準備集合罪において行為者に共同加害の目的があるというためには、その前提として相手方からの襲撃の現実的具体的可能性が、事実として存在することが必要であると解すべきところ、当時革マル派の者による第一前進社および第二前進社襲撃の現実的具体的可能性は存在しなかったから、被告人らに共同加害の目的を肯定することはできない旨主張する。

しかし、同罪にいう共同加害の目的は、行為者の主観に属する事柄であって、二人以上の者が共同して実現しようとする加害行為を確定的に認識し、あるいはその可能性を認識してその行為に出ようという意思があれば足り、本罪が個人の生命・身体または財産ばかりではなく、公共的な社会生活の平穏をも保護法益とするものであることにかんがみれば、襲撃を受ける現実的具体的可能性が客観的事実として存在することを要件とするものではないと解するのが相当である。集合者において、相手方の襲撃を予期し、もし相手方が襲撃して来た場合には、これを迎撃し、積極的に相手方の生命・身体等に危害を加える目的を有する場合には、本罪にいう共同加害目的があるというべきである。

そこで、被告人らに共同加害目的があったかどうかについて考究すると、

前掲各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  中核派と革マル派はかねてより対立抗争中であったが次第に激しさを増し、互いにその構成員に対していわゆる内ゲバといわれる殺傷行為を繰り返し、ことに、革マル派によって、昭和四八年七月および一〇月、中核派の者らが多数居住する東京都豊島区上池袋周辺の同派のアジト数か所が攻撃され、一方、中核派が昭和四八年一一月革マル派書記長池上洋司を襲い、昭和四九年一月二四日には革マル派学生を殺害する等の武装した集団による相互の襲撃事件が発生したほか、本件当日の三日後に予定された狭山裁判闘争の集会を控え、両派の対立がさらに増大する様相を呈していた。両派のこれまでの会合において自派の士気を鼓舞する激越なアジ演説がなされ、機関紙においても同旨の主張を掲載し、相手方に鉄槌を下して徹底的に殲滅し殺害することも辞さない意図を明らかにし、その戦果を誇示していた。

(二)  中核派は、前記のように革マル派からの中核派アジトに対する攻撃を契機として、それまで分散していたアジトを撤収し昭和四八年一一月ころから、第一前進社に隣接する建物の二階に第二前進社を設け、中核派全学連書記局を置くとともに、第一、第二前進社に中核派構成員を集めて宿泊、待機させ、革マル派の襲撃に対処するため、その防衛体制の強化充実を図るに至り、多数の鉄パイプ、竹やり、石塊等を搬入、準備していた。

(三)  本件当時第一前進社においては、一階出入口に金属性シャッターを備えつけ、ついで、その内側に存する木製ドアには三個の錠を装置し、表面を鉄板で張り、外部を透視できる魚眼レンズを設け、さらに、右ドアの内側にカーテンを取りつけていた。二階事務所の窓に鉄格子をはめ、右事務所に通ずる一階通路、階段および二階北側の部屋には前記のとおり鉄パイプ、竹やり等が置かれていたほか、バール五本、鉄パイプ五本が発見され、二階南側の部屋にも、多数の鉄パイプ、竹やり、石塊、コンクリートブロック等が備えられていた。そして同室西南の窓が屋上への出入口となり、はしごがかけられていて、屋上には見張台があり、二階の部屋に通ずる伝声管が二か所に取りつけられ、人頭大の石塊一一〇個、竹やり三本、バール一本、鉄パイプ一本その他コーラびん等が数多く発見された。また、第二前進社は、前記佐藤ビルの西側に隣接する岩井菊造所有の建物内に存するが、右建物の明治通りに面した一階出入口のドアの外面に鉄板を張り、二か所に施錠装置を取り付けたうえ、外部を透視できる魚眼レンズをはめ込み、内側にさらに別のドアを設けてある。一階入口内には第一、第二前進社にそれぞれ通ずるインターホンを備え、二階に上る階段等に鉄パイプ一二本(うちやり状のもの三本)、竹竿九本(うちやり状のもの六本)、石塊などを配置し、二階入口ドアには五個の施錠装置をつけ、通りに面した二階の窓に金網を張り、室内に鉄パイプ一七本(うちやり状のもの二本)、竹竿三〇本(うちやり状のもの六本)のほか、多数のれんが、石塊、コーラびん等を置き、第一前進社に面した二階窓の外に屋根に至るはしごを設置し、そこからさらに第一前進社に通ずるはしごを設け、屋根にも、竹竿四本、人頭大の石塊三個、れんが四八個、コンクリートブロック二二個、ほか多数のコーラびん等を配置していた。

(四)  中核派は、第一、第二前進社を全体として防衛する態勢をとり、前進社の防衛(「社防」)に従事するものとして、決死隊、突撃隊、屋上隊等を編成していた。決死隊は、一〇数名で構成し、昼夜二交替制で任務に就き、鉄パイプを所持または身近に置き、第一前進社一階入口の内外、二階に通ずる階段付近、第二前進社一階入口内側および階段付近に配置されて、それぞれ警戒にあたり、革マル派の襲撃の際には鉄パイプ等を用いて反撃を加えることとされ、突撃隊は一〇名余で構成し、平素第二前進社の二階の大部屋で待機し、革マル派の襲撃があった場合には、あらかじめ指示された部署に赴いて、決死隊に協力し、攻撃を援助することとし、屋上隊は、数名いて、第一前進社の屋上で二名づつ交替で見張りをし、異常を発見すれば伝声管で第一前進社内の者に連絡し、屋上から投石等して攻撃を加えることになっていた。社防に就く者は、事前に計画、作成された動員表に従ってその都度口頭で伝達を受け、定められた日時に出社し、第二前進社で、点呼ののち、責任者からその当時の政治情勢、革マル派の動向、当該任務等についての説明と指示がなされ、革マル派の襲撃に対処する意思の確認と一致を図り、士気を鼓舞して、持場を守り、常時緊張状態にあった。そして、社防にある者はもとより、それ以外の者も、すねあて、こてあて等を着装し、就寝時といえども、これを外すことなく、着衣のまま、緊急事態に備えていた。とくに、当時、同年二月七日の狭山裁判闘争の集会を控えており、従前の革マル派の行動から推して同派からの襲撃が予測され、いっそうの厳戒態勢を固めていた。

以上認定の諸事実を総合して考えるならば、右の社防は日常一般的な警備とはとうてい認められず、革マル派の襲撃を予想して、前進社を城塞化したものであり、襲撃があれば、現に社防の任務にある者はもとよりのこと、前進社内部にあるすべての者は、一丸となって、迎え撃つ臨戦態勢にあったことが明らかである。そして、被告人らは、いずれも中核派に所属していた者で、当時における革マル派との緊迫した情勢を認識しており、本件当日以前にもしばしば前進社に出入りしていて、前記のようなその内部の状態および社防態勢を熟知していたと解されること(被告人松山良雄、同乙山元および同大津正は、以前に社防に就いたことがある旨自認している。)、その他本件当日の被告人らの服装、所持品等を合わせ考察すると、被告人らにおいて、革マル派による襲撃を予期し、その場合には積極的にこれを迎撃し、その身体、生命に対し共同して危害を加える目的を有していたと認めるのが相当であり、単に相手方から自己の生命・身体等を防衛する域にとどまっていたものとは解せられない。

被告人らは、前進社内部に多数の器物を配備したのは、革マル派の者にこれを誇示し、防備が堅固であることを悟らせて襲撃を思いとどまらせることを意図したものであり、また、革マル派が前進社を攻撃する情報もなかったのであるから、被告人らは同派の襲撃を予想していなかった旨主張する。しかし、前記認定の具体的状況に照らすときは、被告人らにおいて、単に右の抑止的効果に頼り、革マル派の襲撃を予期していなかったとはとうてい解することができず、そもそも、違法に襲撃を加えようとする者は相手方の警備の隙を窺い、不意を狙うことが当然考えられるところであるから、当時革マル派の者が前進社に攻撃を加えるのではないかと思われるような情報がなかったということをもって、被告人らに革マル派による襲撃がないものと信じていたと推断することはできない。

被告人らに共同加害の目的が存したことは優に肯認することができるから、弁護人の前記主張は採用しえない。

三  なお、弁護人は、いわゆる「用法上の兇器」は、単にそのものの大小、性質、形状、構造のみによって決すべきではなく、当該物件の置かれている客観的状況および行為者の主観的要素を勘案し、具体的な加害行為の近接性、違法な加害行為に用いられる蓋然性などをも考慮し、人の生命・身体に対する高度の切迫した現実的危険が客観的に存在する場合にのみ、兇器性を肯定すべきであって、本件においては、器具が存在し、室内に人が集合していたにすぎず、対立する団体等の具体的な存在もなかったのであるから、起訴状において「兇器」であるとして記載されている各種器具の多くは、その兇器性を否定すべきである旨主張する。

しかし、いわゆる「用法上の兇器」とは、用法によっては人の生命、身体または財産に害を加えるに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に害を加える目的をもってこれを準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足りるものをいうと解される(最高裁判所昭和四五年一二月三日第一小法廷決定、最高裁判所刑事判例集二四巻一三号一七〇七頁参照)ところ、本件捜索差押調書等関係証拠によれば、判示の各器物が用法によっては人の生命、身体はまた財産に害を加えるに足りるものであることは明らかであり、かつ、前記認定の具体的状況の下において、被告人らが革マル派の者を迎撃する目的をもって判示の各器物を準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに十分であると認めることができるから、弁護人のこの点に関する主張は採用することができない。

四  弁護人は、かりに被告人らに共同加害目的があったとしても、昭和四九年一月二五日第一、第二前進社が警察官によって捜索、差押を受けた際、内部の状況、とくに人数、器具類は、本件の場合と変りがないのに、兇器準備集合罪の現行犯人として逮捕された者はなく、また、当日以降本件に至るまでなんらの警告も受けていなかったうえ、これまでに前進社等の政治活動の本拠が迎撃形態の兇器準備集合罪に問われた事例がなく、被告人らはこのことを十分認識していたのであるから、被告人らには本件が違法であるとの意識がなく、かつ、そのように誤信したことには相当の理由があったから、故意が阻却される旨主張する。

しかし、前示認定のような第一、第二前進社内に存した兇器の種類、形状、数量、配備の状況、人的物的態勢等に照らすと、兇器準備集合の程度は決して軽微なものではなく、社会的に是認される限度を著しく超えたものであり、さらに、被告人らに存した前記共同加害目的等を考慮すると、被告人らにおいて違法性の意識を欠いていたとは言い難く、かりに被告人らが所論のような理由により錯誤に陥ったとしても、法律上許容されたものと信ずるにつき相当な理由があったものとは認められないから、弁護人の右主張も採用することができない。(累犯加重の原因となる前科)

被告人高地孝は、昭和四七年四月二五日、東京高等裁判所において、公務執行妨害、住居侵入未遂、傷害、兇器準備集合、兇器準備結集の罪により懲役一〇月に処せられ、昭和四八年九月三〇日右刑の執行を受け終ったものであって、この事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

(刑法四五条後段の併合罪となる確定裁判を経た罪)

一  被告人乙山元は、昭和五〇年六月六日、岡山地方裁判所において、逮捕致傷、傷害の罪により懲役八月、三年間執行猶予に処せられ、同裁判は同月二一日確定したものであって、右の事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

二  被告人丙川正一は、昭和四九年五月七日、東京地方裁判所において、兇器準備集合、公務執行妨害の罪により懲役二年、四年間執行猶予に処せられ、同裁判は同年七月八日確定したものであって、右の事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

三  被告人松山良雄は、(1)昭和四九年一月二四日、広島地方裁判所呉支部において、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び完全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反の罪により懲役二月、一年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和四九年六月一一日確定し、(2)昭和四五年二月二〇日、東京地方裁判所において、公務執行妨害、兇器準備集合、住居侵入の罪により懲役二年に処せられ、右裁判は昭和四九年九月六日確定したものであって、以上の事実は検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

四  被告人丁田謙太は、昭和五〇年八月七日、東京地方裁判所において、兇器準備集合、建造物侵入、傷害の罪により懲役二年、三年間執行猶予に処せられ、同裁判は同月二二日に確定したものであって、右の事実は、検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

五  被告人高地孝は、昭和四六年二月四日、東京地方裁判所において、公務執行妨害、傷害の罪により懲役一年、三年間執行猶予に処せられ、同裁判は、昭和四九年四月二四日確定したものであって、右の事実は、検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

六  被告人大津正は、昭和五〇年六月九日、東京高等裁判所において、兇器準備集合、公務執行妨害の罪により懲役一年六月に処せられ、同裁判は昭和五一年三月二二日確定したものであって、右の事実は、検察事務官作成の同被告人に関する前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人らの判示各所為は、いずれも刑法二〇八条の二・一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人高地孝については前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をし、被告人乙山元については前記一の、被告人丙川正一については前記二の、被告人松山良雄については前記三の(1)、(2)の、被告人丁田謙太については前記四の、被告人高地保孝について前記五の、被告人大津正については前記六の各確定裁判を経た罪とそれぞれ同法四五条後段の併合罪の関係にあるので同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各兇器準備集合罪についてさらに処断することとし、所定刑期の範囲内で被告人らをいずれも懲役一年二月に処し、被告人らに対し同法二一条を適用して未決勾留日数中各八〇日をそれぞれその刑に算入し、被告人甲野善夫、同乙山元、同丙川正一、同丁田謙太および同戊海秀に対し同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予し、なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により、別紙訴訟費用負担明細一覧表記載のとおり各被告人に負担させることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林修 裁判官 安井久治 裁判官林五平は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 林修)

〈以下省略〉

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